連載―木目金を知る
<第2回>前編 ボストン美術館
刀装具 木目金鐔(つば)復元
米国東部の街ボストンには東洋美術のコレクションで名高いボストン美術館があります。 貿易港として知られるボストンはアジアとの交易が古くらからあり、ボストン美術館は早くからアジア諸国の美術品の収集に力を入れていました。
明治時代には岡倉天心(1862-1913)が同美術館の東洋部の美術部長(1904~13年)として招聘され、日本の名品が数多く収集されています。岡倉天心は東京美術学校(後の東京芸術大学)創設に尽力し、日本美術院を創設するなど、近代日本の美術界において多大な貢献をした人物で、日本文化を外国へ紹介することにも尽力しました。来日したアーネスト・フェノロサ(1853-1908)の助手として、彼の美術品収集も手伝っています。 明治時代にはフェノロサの他にもウィリアム・スタージス・ビゲロー(1850-1926)といった米国人が日本に魅せられ、日本美術、文化を研究し多くの美術品を収集し祖国へ持ち帰り、後にボストン美術館に寄贈しました。 1986年には葛飾北斎の絵本三部作の版木(浮世絵版画を刷るために絵を彫った木板)を含む514枚もの版木が見つかるなど、同美術館は膨大な量の日本の貴重な美術品を収蔵しています。
木目金の技術を完成させた江戸時代の名工 高橋興次の作品「吉野川図鐔」もここに収蔵されています。 今回はこの名品と杢目金屋との縁についてご紹介します。
< 二つの鐔 >
骨董市や店を巡っては木目金作品を探し続けていた杢目金屋の創業者髙橋正樹がある日巡り会った一枚の鐔「竜田川図鐔」(写真 上)それは江戸時代の名工 高橋興次の作品でした。 それは髙橋に「幻の技術」と言われた「木目金」を生涯探求しつづける事を決意させた一枚の鐔との出会いでした。 何層にもなる木目金の美しい流線型の模様の中に紅葉の形までもが木目金で作られている作品。 この「竜田川の流れに漂う紅葉」というイメージは「吉野川に浮かぶ桜の花」と対を成すものとして存在します。 この二つはどちらも古今和歌集や百人一首などでも読み続けられた有名な題材であり日本の美しい風景の代表的な描写です。 日本の伝統的な図案として多くの工芸品にも用いられています。 そして当然のように髙橋が手に入れた「竜田川図鐔」にも対を成す鐔が存在したのです。 「吉野川図鐔」その鐔が存在しているのが、海の向こうにあるボストン美術館でした。
< 現地での調査研究 >
「竜田川図鐔」を手に入れ、木目金作品を研究し続けていた髙橋と杢目金屋の職人は2006年1月、遂にこの「吉野川図鐔」の調査にボストン美術館を訪問します。 江戸時代、高橋興次がこの二つの鐔を同時期に制作し、間違いなく二つ一緒に並べてみたであろう鐔。 その後様々な持ち主を経て100年以上に亘り日本とアメリカと遠く離れて存在していた二つの鐔をどちらも髙橋が手に取り調査する事に。 同美術館ではアジア・アフリカ・オセアニア主任部長のJoe Earl氏が現地での調査研究を全面的に支援してくださいました。 ボストン美術館には他にも木目金やグリ彫りの鐔が収蔵されており、一行は調査のために用意された一室で全ての調査を無事終えることができました。