木目金・刀装具調査
2006年1月25日
ボストン美術館
米国東部の街ボストンには東洋美術のコレクションで名高いボストン美術館があります。 貿易港として知られるボストンはアジアとの交易が古くらからあり、ボストン美術館は早くからアジア諸国の美術品の収集に力を入れていました。
明治時代には岡倉天心(1862-1913)が同美術館の東洋部の美術部長(1904~13年)として招聘され、日本の名品が数多く収集されています。岡倉天心は東京美術学校(後の東京芸術大学)創設に尽力し、日本美術院を創設するなど、近代日本の美術界において多大な貢献をした人物で、日本文化を外国へ紹介することにも尽力しました。来日したアーネスト・フェノロサ(1853-1908)の助手として、彼の美術品収集も手伝っています。 明治時代にはフェノロサの他にもウィリアム・スタージス・ビゲロー(1850-1926)といった米国人が日本に魅せられ、日本美術、文化を研究し多くの美術品を収集し祖国へ持ち帰り、後にボストン美術館に寄贈しました。 1986年には葛飾北斎の絵本三部作の版木(浮世絵版画を刷るために絵を彫った木板)を含む514枚もの版木が見つかるなど、同美術館は膨大な量の日本の貴重な美術品を収蔵しています。
木目金の技術を完成させた江戸時代の名工 高橋興次の作品「吉野川図鐔」もここに収蔵されています。 今回はこの名品と杢目金屋との縁についてご紹介します。
< 二つの鐔 >
骨董市や店を巡っては木目金作品を探し続けていた杢目金屋の創業者髙橋正樹がある日巡り会った一枚の鐔「竜田川図鐔」(写真 上)それは江戸時代の名工 高橋興次の作品でした。 それは髙橋に「幻の技術」と言われた「木目金」を生涯探求しつづける事を決意させた一枚の鐔との出会いでした。 何層にもなる木目金の美しい流線型の模様の中に紅葉の形までもが木目金で作られている作品。 この「竜田川の流れに漂う紅葉」というイメージは「吉野川に浮かぶ桜の花」と対を成すものとして存在します。 この二つはどちらも古今和歌集や百人一首などでも読み続けられた有名な題材であり日本の美しい風景の代表的な描写です。 日本の伝統的な図案として多くの工芸品にも用いられています。 そして当然のように髙橋が手に入れた「竜田川図鐔」にも対を成す鐔が存在したのです。 「吉野川図鐔」その鐔が存在しているのが、海の向こうにあるボストン美術館でした。
< 現地での調査研究 >
「竜田川図鐔」を手に入れ、木目金作品を研究し続けていた髙橋と杢目金屋の職人は2006年1月、遂にこの「吉野川図鐔」の調査にボストン美術館を訪問します。 江戸時代、高橋興次がこの二つの鐔を同時期に制作し、間違いなく二つ一緒に並べてみたであろう鐔。 その後様々な持ち主を経て100年以上に亘り日本とアメリカと遠く離れて存在していた二つの鐔をどちらも髙橋が手に取り調査する事に。 同美術館ではアジア・アフリカ・オセアニア主任部長のJoe Earl氏が現地での調査研究を全面的に支援してくださいました。 ボストン美術館には他にも木目金やグリ彫りの鐔が収蔵されており、一行は調査のために用意された一室で全ての調査を無事終えることができました。
< 復元研究 >
「吉野川図鐔」「竜田川図鐔」ともに、最大の特徴は、桜の花びらと紅葉の葉という他に類例のない木目金による具象物の描写にあります。木目金は、鏨(たがね)などにより積層された材料を彫り、鍛造加工をすることで重ねた下の層の金属の色が表出することで文様が作られるため、この工程において、具象物の文様を定型で作り出すことは不可能に近く、以前の研究からも、具象物の文様は刻印によることが判明しています。今回の復元は、この文様の制作工程の研究をさらに進めることが目的でした。 鐔を観察することにより、使用された金属の種類、積層構造を分析することができます。また、文様の詳細な観察から制作工程の順番が確定出来ます。これらを元に復元制作は下記の通り実施されました。
高橋興次のこの二つの鐔は木目金を単なる「文様をつくる技術」ではなく、イメージを表現する手段にまで高めた作品でした。鐔の全面を木目金の波の文様で覆うことで、無限の広がりを演出し永遠の川の流れを表現することを可能にしています。木目金の技術でしか表現出来ないデザインを具現化し、昇華させることに成功した優れた作例なのでした。 今回の復元制作による研究については、髙橋の博士論文「木目金ジュエリーによる装飾表現の可能性」の中で詳しく報告しています。 下記に、論文の該当部分を抜粋して掲載いたしますので、詳しくはこちらをお読みいただけます。
- 復元研究3
- ≪木目金 吉野川図鍔 銘 高橋興次(花押)≫ボストン美術館蔵 ビゲロウ・コレクション
- 江戸時代中後期 赤銅、四分一 H73.0×W69.0×T5.0mm
- ≪木目金 竜田川図鍔 銘 高橋興次(花押)≫ 髙橋正樹蔵
古来より吉野川の桜、竜田川の紅葉は万葉集をはじめ、『古今和歌集』や『新古今和歌集』などで詠み継がれてきた有名な題材である。美しい風景は、いつしか現実を超越したイメージ世界へと飛躍した。興次は、この鐔の中に表現したかった情景に対する特別な思いから、「表現と技術の融合」という、木目金が今まで到達しえなかった領域にまでその作品を昇華させている。八木瓜(やつもっこう)形という複雑な形状にも関わらず同一の素材をその側面全体に丹念に貼り付け、更に両櫃孔(りょうひつあな)の内壁にまでその素材を貼り込み、鐔全面を川の流れの文様で覆い尽くすことによって、鐔という小さな作品の中に無限の川の流れを見る者に感じさせることに成功しているのである。
観察
文様は、四分一、赤銅の2種類の組み合わせによる木目金で作られている。川の水流を表現した流線型の流水文が全面に施され、吉野川図は、桜が竜田川図(図版15)は紅葉の文様がバランスよく構成されている。更に斑点状の文様によって流線型の文様に変化がつけられており、その効果によって水流が変化に富んだ奥行きのある表情を作り出している。また櫃孔の内側、覆輪には鍔全面に施された流線型の文様とは別のシンプルな流水文の木目金が貼られている。積層枚数は、文様の表面観察によって調べた。詳細に観察すると櫃孔の縁や、覆輪の縁に積層断面の一部が表出している箇所が幾つか観察出来る。また櫃孔の内側、覆輪に施されている材料は構造上、積層断面が露出しており積層構造を観察することが可能である。鍔の表裏の木目金の文様と櫃孔の内側、覆輪の文様は異なるが、表面の文様の観察によって総合的に判断し、またあえて異なる材料を使用する必然性の有無を考察し、同じ積層枚数の同一素材であると断定した。文様の詳細な観察から表出している材料によって制作工程の順番が確定出来る。吉野川図の桜と竜田川図の紅葉は、いずれも赤銅の単色であり、桜、紅葉の形状を囲むように積層が表出し、周辺の流水文に溶け込んでゆく。この現象から桜、紅葉を鏨で刻印したのち流水紋を施している制作工程が読み取れる。これは斑点状の文様にも同じ現象を確認出来るため、工程は桜紋、竜田川紋と同時に加工されていることが断定出来る。
工程
この2つの鍔の最大の特徴は、桜の花びらと紅葉の葉という他に類例のない木目金による具象物の描写にある。基本的に木目金は、鏨などの切削工具により積層された材料を彫り、鍛造加工をすることで重ねた下の層の金属の色が表出し文様が作られる。この工程において、具象物の文様を作り出すことは高度な技術を必要とし、更に定型で複数の文様を制作することは不可能に近い難易度と考えられる。しかし、以前に筆者が『木目金の教科書』 によって研究報告を行ったテスト結果から刻印によることが判明した。本研究は、この文様の制作工程の研究を一歩進める形で、鍔全体の復元に挑んだ。構造は観察から三枚合わせであることが判明しており、刻印によるデザインの細部の再現性というメリットを最大限に活用するため、3枚に接合してから文様の制作を行った。三枚合わせにした材料に最初に具象である花びらを刻印し、その後丸状の文様、流線型の川の流れの文様と順番に刻印する。これはベースとなる流線型の文様を先に打つと、具象の文様に影響が出てしまうためである。刻印による凹んだレベルまで金属を丁寧に削りとると文様が表出する。最後に同素材による外周と櫃孔に覆輪をまき、全面を執拗に木目金で覆い尽くすことで、鍔という小さな世界に雄大な川の流れを表現することを意図して作られていることが体験出来た。
復元研究の結果
高橋興次作の≪木目金 吉野川図鍔 銘 高橋興次(花押)≫は木目金の技術による刀装具の中において、技術と感性が融合した優れた作品と言える。単なる「文様をつくる技術」ではなくイメージを表現する手段としての木目金がそこに存在する。特筆すべきは、何よりもそのデザインの設計の緻密さである。鍔全体に張り巡らした木目金によって、無限の広がりを意図してデザインしたであろう波の文様によって茫洋とした永遠の川の流れを表現することに成功しているのである。そこには、単なる図形としての文様の構成ではない、木目金であるからこそ表現出来る微細な金属の積層の隙間の立体感と、時間の凝縮した密度が醸し出す素材の経験したエネルギーによって自然の尊厳が表現されている。まさに、木目金であるからこそ表現出来る情景を描き切っていると言って過言ではない。制作工程における時間とエネルギーの凝縮が、表現するテ―マである時の流れや自然の尊厳と完璧に合致し、技術とイメージとの必然性となってそこにあるのである。高橋興次作の≪木目金 吉野川図鍔 銘 高橋興次(花押)≫は、木目金の技術でしか表現出来ないデザインを具現化し、昇華させることに成功した優れた作例なのである。